デジタル

デジタルかオカルトか、なんて論争、懐かしい。
なんんとなく本屋で立ち読みしたこの本。

デジタル麻雀の達人 (マイコミ麻雀BOOKS)

デジタル麻雀の達人 (マイコミ麻雀BOOKS)





以前はデジタルなんてありえないと完全なるデジタル否定派だったのだが、
今はこのようなデジタル本を読んでも、なんだかあまり否定する気にならない。
今の自分のスタイルとしてはどちらかというとデジタル派なのか?と我ながらの驚きが。


といっても、デジタルというか、オカルト肯定派かつ、オカルト嫌いの、デジタルである。
下らない不運が続くと、腹が立って仕方が無くなるのだ。
カンチャン一発ツモかつ、裏が2枚乗ったのでなければ、俺がトップだったものを、まくられた、
そんなわけのわからない幸運で、ゲームというものを台無しにしないで欲しい、とか、すごく思う。


ゲームというものは確かに運の要素があるからこそ成り立つわけだが、運があまりに大きいと、興醒めなのである。
バランスが重要なのだ。運と、努力のあんばいが。
例えば、今は東南戦をやらない。何故か。流れに左右され過ぎて嫌なのである。
だから東風戦かつ、赤無し、食い断ありというルールでしかやりたくない。
このルールが最も運気の流れに左右されにくい様に思う。


運の流れはあるんだよ。前局の結果を引き継がないなんて思想こそがオカルトだ。
運気の流れに関しては、物理学で言うならば慣性の法則の様なものが、物理的で無いものにも働いている気がする。
見えないものを科学的に解明するなど不可能だ。不可能だから、あるとも無いとも、限らない。
なんでも人間の側から説明しようとしちゃあいけない。
こちら側から見えざる向こう側からの論理が働いている部分は、確実にある。
それを理解しようとしちゃあいけない。
ワケのわからないものがあるんだよ、と認識すべきだ。


と言いつつ、自分はそういったワケのわからなさを、不運に関して肯定したくないわけなのだが。

ドラクエ2


Youtubeでたまたまドラクエ2の映像を見たら、きたね。
RPGというものの原初的な楽しさ。シンプルイズベストな感触。
そしてファミコン界最高峰のナイスな音楽。
特に城の音楽とか、あまりに懐かしくて、すごくきたね。
ドラクエ2ってのは、ドラクエ1よりずっと遊び易く、ドラクエ3ほど洗練されてない、
過渡期感が凄くいいんだよなあ。
正に歴史に残る名作だね。

心の解法

おもしろき事も無き世を面白く 住みなすものは心なりけり
まず、世の中とは壮大なムダであるという事が大前提。
幸福も、不幸も、どうだって良い。
運命の女神にほほえまれようと、裏切られようと、
ものすごい偶然に何かを感じても、異常なまでのシンクロニシティに遭遇しようと、
いずれにしろ、意味がない。というか、
意味があろうとなかろうと、別にどうでも良い。
この世界全て、壮大な宇宙全て、壮大なムダでしかない。
ただ、流動する砂の様なものである。
ここは、今読んでいる、安部公房砂の女の影響。
何の意味もない、単なる流動。


その中にあって、生きるという事は、心が全て。
心こそが、実体。在るという全ては、心である。
ゆえに心こそはオリジナルであろうと、誰もが必死で、もがいてでも、
オリジナルな心を持つべきだ。
部分部分を共有し合いながら、その部分要素の構成で、オリジナルな心を作り上げるべきだ。
しかし、共有という事を履き違えている輩が多いという事に気付かされる。
部分でなく、全体で共有しがちなように見受けられる。
皆がこう言ってるから、こうなんだろう、と、右倣えな心。
皆で作り上げている、共有の価値観。流されている心。
そんな心でそもそも幸福を感じられるわけが無い。
世界のみならず、心までがムダそのものになってしまっているのでは、正に救いようが無い。


また、オリジナルな心であっても、絶えず飢えていて、欲しがる、がっついている心というのもあり。
心が小さければ、小さい器に盛り、満たすべき。
器の小ささを恥じ入る必要がどこにあろうか!
小さく、満たされている。それは素晴らしき事ではないか。
オリジナルな心を満たす、それぞれのオリジナルなささやかな器、
それは行為、そしてその結果、というものであろう。
良き心も、器無くして、保てず。
良き器あれど、良き心少なくして、満たされず虚多し。
良き心の為の良き器。良き器を満たす良き心。
大きさなんて気にするな。小さくたって全然構わない。
満足してくれ。

糞ヤフーが!!!!!!!

昨日、夜中にオークションをチェックしたら、キャンペーン!無料出品分は19:00まで!
とかいきなり出てた。
おいおいおいおいおいおい・・・、何の予告もなしに、いきなりかよ!?
それを確認したのが深夜1:00あたりだったので、その瞬間に夜更かし決定である。
面倒だが、CDの在庫を出品せざるを得ない。
やれやれと思いつつ出品しようとすると、ずいぶんと出品ページがリニューアルしている。
重い。見づらい。ひどい改悪である。
いちいちいちいち待たされるし、何回も読み込みに失敗する為、
何回も何回も更新ボタンを押した。
寒さと眠さと遅さとの闘いで、実に辛い思いをした。


何とかかんとか大半を再出品し、ようやく眠れたのは2:30くらいであった。
60品近く出品するのに1時間30分もかかってしまった。
別に文章を書いたりするわけではない単なる再出品作業に、1品1分以上かかっているのである。


それだけならまだしも、9月の無料出品分もまだ残っているから、
今日はあと10品出品しようとした所、入力作業を一通りすませて、画面を見て、目を疑った。
システム利用料10.50円、とか出てやがる。
無料出品分は?ねえ、無料出品分はどこに行ったの!?
勝手に無くしやがった!!!
何の予告も無い急なキャンペーンと、
何の告知も無い無料出品分のリセット。
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!!!
糞ヤフーが!!利用者をなめるのもてえげえにしやがれってんだ!!
こういう糞企業が日本にのさばっているというのは、実に憂うべき事態だ。
だからといって他が良いわけもなく、IT企業の大半が糞、もしくは糞以下の公害のような存在である。
どうにかしろよ、この糞業界。

オシャレ

オシャレなもの、だとか、アートだとかについての考察。
オシャレ空間というものは、色がキレイで、整然としていて、すっきりとしている。
しかし、そこに匂いだとかカオスだとか、人をくるむ空気がない。
まるで人を遠ざけるかのような、根本的な冷たさがある。
ホテルの部屋の居心地の悪さだとか。あえて悪さと言い切ろう。
無味無臭を求めれば求める程つまらなくなって行く感覚。
整然に憧れると同時に、雑然に恋い焦がれる気持ち。
温もり、匂い、眠気。
単純な様で、なかなか根源的な深いテーマでは無いだろうか?
なぜ人は、人工的な無味無臭なものと、自然的な有味有臭を求めるのか。
その折衷にこそ、真の心地よさというものがあるであろう。
単に整然としているだけのオシャレな感覚*1には、
雑然と汚れきったものに対する気持ちと同じ位の嫌悪感を催す。
正しく、平等な感覚だ。我ながら健康的で大変よろしいと思う。
単に整然としているだけの、空虚なオシャレ*2な表現に対して言いたい、
薄っぺらい!、、と。
色々色々色々感じなければ駄目なんだよ。

*1:己を覆い隠さんとしているかのようだ

*2:©安部公房

健康自慢

なんとなくドライブ気分だったので、なんとなく横手へ。
ふるさと村のワンダーキャッスルで遊んだ後に、
ふとロビーを見やると「健康づくりフェスティバル」というものをやっていたので、
無料だったのでなんとなく、アルコール分解かなんか、平たく言えば酒の強さの数値を測る為のパッチを貼ってもらう。
10分待てと言われたので、その間にという事もあり、色々と測定。


まずはいちおうの喫煙者として、呼気内の一酸化炭素濃度検査というものを。
これがまったくノンスモーカー並みの数値が出たので一安心。
伊達に喫煙量を一日1〜2本まで抑えているわけではなかったのだ。


次に体脂肪検査。これはまあ機器によってバラつきもあるものらしいが、
予想通りというかなんというか、非常に少ない体脂肪数値。


この辺で10分経ったので、アルコールパッチの測定。
夫婦共々まったく色が変わっておらず、予想通りというかなんというか、酒に強い体質との事。


次に骨密度を測定、これはまあ標準値で問題なし。


最後に結果診断のコーナー。
とにかく体脂肪率の数値に驚かれる。運動を何かやってらっしゃるんですか?と言われる。
いや何もとくにはやってないですと答える。いい気分である。
しかしあまり少ないのでそれはそれで問題だとかいわれるのではなかろうかと危惧していた所、
あなたの場合基礎代謝量が非常に高く、このグラフも「燃えやすい」の所にあり、
多少食べたくらいのものでは、全く太らない体質なので、そうなるのでしょう、
これは生まれつきのものなのですか?等と言われる。
ええそうです、特に何をしたという事はありません、等と答え、
とにかく非常にいい気分に浸りきる。


診断の最後に血圧も測ったが、これも理想的な数値との事。
理想的な数値、理想的な満足感。
診断の人も、おだてるのが上手いね、実にいい気分で会場を後にしたのだった。


何もしてないのに、健康そのものって、親や祖父母やその上に感謝の一言だ。
そして自分を基準にして他人を判断するのをとにかくやめようと思った。
自分が健康だからって、他人も同じなわけでは決して無いんだ。
他人の多少の体調不良やへこたれに対し、病は気から、などと押し付けるのはやめようと反省した。(上から目線)