デジタル
デジタルかオカルトか、なんて論争、懐かしい。
なんんとなく本屋で立ち読みしたこの本。
- 作者: 鈴木たろう,小林剛,村上淳
- 出版社/メーカー: 毎日コミュニケーションズ
- 発売日: 2008/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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以前はデジタルなんてありえないと完全なるデジタル否定派だったのだが、
今はこのようなデジタル本を読んでも、なんだかあまり否定する気にならない。
今の自分のスタイルとしてはどちらかというとデジタル派なのか?と我ながらの驚きが。
といっても、デジタルというか、オカルト肯定派かつ、オカルト嫌いの、デジタルである。
下らない不運が続くと、腹が立って仕方が無くなるのだ。
カンチャン一発ツモかつ、裏が2枚乗ったのでなければ、俺がトップだったものを、まくられた、
そんなわけのわからない幸運で、ゲームというものを台無しにしないで欲しい、とか、すごく思う。
ゲームというものは確かに運の要素があるからこそ成り立つわけだが、運があまりに大きいと、興醒めなのである。
バランスが重要なのだ。運と、努力のあんばいが。
例えば、今は東南戦をやらない。何故か。流れに左右され過ぎて嫌なのである。
だから東風戦かつ、赤無し、食い断ありというルールでしかやりたくない。
このルールが最も運気の流れに左右されにくい様に思う。
運の流れはあるんだよ。前局の結果を引き継がないなんて思想こそがオカルトだ。
運気の流れに関しては、物理学で言うならば慣性の法則の様なものが、物理的で無いものにも働いている気がする。
見えないものを科学的に解明するなど不可能だ。不可能だから、あるとも無いとも、限らない。
なんでも人間の側から説明しようとしちゃあいけない。
こちら側から見えざる向こう側からの論理が働いている部分は、確実にある。
それを理解しようとしちゃあいけない。
ワケのわからないものがあるんだよ、と認識すべきだ。
と言いつつ、自分はそういったワケのわからなさを、不運に関して肯定したくないわけなのだが。