勝負の掟

これから日本の野球で、大差での盗塁は大リーグと同様に盗塁と記録しない、
というニュースに付随したリンク。
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%e3%83%a1%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%96%87%e5%be%8b
ここで紹介されているメジャーリーグの不文律、
・大差(概ね5点以上)でリードしている攻撃側は試合終盤で、バントをしてはいけない
・カウント3ボール-0ストライクから打ちにいってはいけない
・盗塁してはいけない


そんなもの、クソ食らえである。
それ、何か意味あるのかよ?
何が敗者に対する侮辱だ?
大差だからって勝つって決まってるのかよ?って話である。
勝負事に確率を持ち込む奴は、そもそもずれている。勝負をやる資格がない。
勝負とは気持ちが全てである。
大差で勝っているチームは気持ちが乱れて総崩れする事が少ないという事、確率の正体とはそういうものである。


暗黙の了解、というもの、確かに日常生活では必要な部分も多々あろう。
ただし、こと勝負ごとにおいてそのような暗黙の了解事など、自ら敗北を宣言するような行為以外にはありえない。
勝とうが負けようが最後まで全力を尽くしてプレイする事、それだけが暗黙の了解で、
余計な事考える奴はいくら気をつかっても結局の所単なるバカでしかない。
これが出来ない奴はあらゆる勝負をするな!不愉快だ。
そういう事はとにかく当たり前で、議論の対象にもならない。
そういう事がわかってない奴とは友人にならない方が良い。


昔、あまりにもな事なので新聞の切り抜きを持っていた、高校野球地方大会での一つの記録。
ある試合のスコアが確か128対0であったのだ。
野球で128点である。一体何時間かかった事か。攻撃側の努力、守備側の努力、それぞれ凄まじいものだと思う。
客観的にみたら128点の半分の半分、32点の時点でも既にシュールな攻撃であったろうと思われる。
そこから、それの4倍ものスコアを積み重ねた高校球児達の汗こそが真の勝負のきらめきである。


だから大リーグなど所詮ガム噛んでやるような奴らで、商業主義の茶番である。勝負でもなんでもない。
そんなものを少しでも取り入れようなど、さすが日本人、お見事なセンスの無さである。