持ち運べる箱庭

近頃マリオ64DSをプレイしている。これが64と基本的には全く一緒なのだが、おおいに異なる点が。
64の時はマリオだけだったのが、ヨッシールイージ*1ワリオと使えて、各キャラの特性をいかした謎解きになっているので、
64版をやった人も十分楽しめる内容になっている。


ゲーム自体も面白いが、何より自分が惹かれるのは、3D箱庭感覚である。そこにバーチャルな世界がある。
例えば、お城の部屋中が水で満たされた隠し面がある。
普通に生活していて、部屋が水で満たされる事など、まずありえない。
それがこのヴァーチャルな空間で提示されている。これを夢心地と言わずして何と言おうってもんである。
そう、このゲームはマリオかつすなわちファンタジーであり、ドリームなのである。


子供の頃の自分の落書きを見ると、スーパーマリオを描いた絵がたくさん出てくる。
当時の自分にとって衝撃的だったのだろう。その時も2Dでも既にドリームワールドが提示されていたのである。


そしてそんな箱庭を、DSで持ち運べるってのは、実に素敵な事である。
いつでもどこでも、この箱庭で遊べるのである。
これを現実逃避と言わずして何と言おう、というのは冗談としても、
想像力というものは退屈な日常からの飛躍であり、ここに居て全てがあり、時間空間を超越する。

スーパーマリオ64DS

スーパーマリオ64DS



とは言え不満も無いわけではない。
操作性の悪さとか、視点切り替えの窮屈さという64版で感じた弱点が全く克服されていない。
と厳しく言いたくなるのも、64のゼルダでは克服されていたからである。
1998年にして早くも3D操作における一つの到達点のようなものが感じられたからである。
それなのに、なぜ。
まあそこを改善しようと思ったらかなりの作り直しを要するのは目に見えているわけで、仕方ないっちゃあ仕方ない。
そもそもこれがDSで発売された契機だって、
新ハード=マリオという伝統に無理やり乗っ取らんとしている事が見え見えってもんであろう。


あとはDSで64のゼルダが出来たら言う事なしなんだけど、出してくれないかなあ。
このゲームこそ、世界最高のゲームだ。オールタイムフェイバリット中のフェイバリット、永遠のナンバー1だ。
このゲームを発売日に買って、リアルタイムで、最新の状態でプレイした自分をほめてあげたい。
しかも発売日に買ってやったゲームなんてファミコン時代から含めても多分これしかない。
そして何より、マリオ64とはまた違った、中世ヨーロッパの香り漂う、素晴らしく素敵極まりない持ち運びたい箱庭なのだ。
ゼルダの伝説 時のオカリナ

ゼルダの伝説 時のオカリナ

*1:しかし今にして思うと64版ではルイージが出てこないってのは可愛そうなないがしろである。