自分に由る

真に強い生き様というものは、すなわち人に頼らないという事である。
当たり前だとずっと思っていたが、これは結構な事である。
他人からの批判だとか嘲笑だとか妬みそねみ憎しみ、そのようなものを一蹴する、内面の強さが求められる。
この辺の事はわかっているようでわかっていなかった。


多少傷ついても、それこそが生きている実感ってものだから、いいじゃない。
傷つきながらも、受け流すという事。迷わず、受け流す。
食ってかかるのは甘えであり、迷いの象徴である。
多少迷ったっていいけど、そこで甘えないという事がね。
そこで周りを非難したり、憎しみを持ったりせずに。
勿論悪に対する対抗心みたいなものは当然必要だが、まっとうに非難出来るなら真っ直ぐ非難する、
立場上非難出来なければ、ちょっと角度を変えて、イタズラしてやるとかね。
とにかく甘えず嘆かず、問題は自分で解決する。自分を信じる。
それこそが自分の生を生き抜くまっとうさのようなものなのではないかと。
理解してもらおう、理解させよう、そういう事はどうだって良い事なのだ。
理解など自分がしてれば、それだけで良いのだ。


世間的にみて自分がどうか、人と比べてどうか、
そんな事はまったくどうだっていい事である、と力を込めて言うのも、
そのような集団催眠的な圧力というものは、なかなか強力なもので、
ある程度確固たる意思が無いと、負けてしまう。
いくら世間的にダメ人間であろうと、甘えない、確固たる意思を持った熱い人間だったら、
どんなに世間的に成功して富や名声を得た人間よりも、心も生活も、自由で楽しいはずだ。


とにかく自由に楽しくあればなんだっていいんじゃないでしょうか。
楽しまなきゃ、生きる事なんて単に苦痛でしかない。