都会の恐怖

本日、都営大江戸線で停電して、電車が止まるという事故があった。ちょっと前も自動改札が動かなくなるという事があった。自分が都会で暮らして、一番恐ろしいと思った事は、そのような電車トラブルである。地震や何かで電車が止まるトラブルは何度か経験した。一番ひどかった時は、まったく復旧のめどが立たず、途中下車して何とか動き始めた路線を乗り継ぎ、家に帰ろうとした。結局まごついている間に本来の家に帰る路線が復旧して4,5時間遅れて帰宅したが、この時はとにかく腹が立ったし、同時に都会の脆弱さについて思い知る事となった。自分が結局田舎に舞い戻った大きな理由として、それがある。


結局の所、電車しだいなのだ。電車が止まったら、歩かなければならない。車があった所で、人が多すぎて、身動きがとれない。たかが電車が止まっただけで、大騒ぎなのだ、都会という場所は。そんな都会で、もし大震災でも起こってごらんなさい、おそらく大変な生き地獄の様相を呈するのは目に見えている。潜在的にその恐怖が常にあった。何より恐ろしい事だ。


自分にとっての都会のイメージとは、檻のような、鳥篭のようなものだった。誰もが常に檻の外への渇望心に溢れている、ように思えた。檻の中には、確かに何でもある、人工のものならば。自然は、無い事も無いが、人間によって管理されたものだ。すべてが管理され、剥き出しのワイルドとは無縁である。その辺が結局都会と田舎の一番の違いなのではなかろうか。管理されたものは、そこに管理トラブルが起こると、もうどうにも対処出来ないという羽目に陥る。つまり、いざという時に、無力。都会では、全部が全部、ほとんどがそうなのだ。そこが怖かった。居られなかった。


その点田舎はなんとでもなる。土地と自然にあふれ、食料がある。人が少ない。何かがあっても車が走れる。一族の墓も近くにあるので、うっかり死んでしまってもしっかり奉られる。問題はやはり職なのだが、職があったらみんな田舎に来てしまうわけで、デメリットあってこその穴場であり、まあ高望みせずに、どんな仕事であろうと趣味の糧、明るくてやる気のおきない昼間の暇つぶし、そういう気持ちで探して日々を暮らして行きたいもんです。