売り手側

telestar2007-09-25

 暇にまかせて、オークションで商品を売りまくっている。九月のオークション出品物の売上がまあ10万円近くに達した。そして物をほとんど買っていない。こうなると頭の論理はもう既に売り手側のそれである。売り手というものは、支出に関してシビアなものである、という事がおぼろげに感じられる。この支出が後でどれほどの時間空間金銭物質的な得を産むか、そんな意識が働く。下らない物を買う事は一銭の得にもならないどころか、それを処分するのにもエネルギーを要し、損をする。ババ抜きのババを掴まされたような気分になる。昔CDを雑に扱っていた事が悔やまれる。きれいでかつ売れそうなCDは商品に見えてくる。金に見えてくる。実家の部屋はゴミと金の交じり合った山である。こういう事ってのは、見えているようで見えていなかった、世の中の別の側面である。


 歳の問題もあるのか、雑誌やなんかのメディアにふれて見ても所謂ハイプだらけである、と思える。ハイプ、その言葉の意味はよくわからないが、とにかく嘘というか虚構というか、商業主義の戦略固めというか、資本主義社会のバカバカしさというか。他に当てはまるふさわしい短い言葉も見つからないので、心の中でハイプとつぶやいてしまう。本当の喜び、本当の楽しみを味わい、本当の言葉で語るべきだとも。うかつにも素直になれないが、善良かつ正直であれば、それが何より単刀直入な正しさである事には間違い無いさ。