健康麻雀支持

 病院が、老人のサロン化しているという。つまり老人達が、行かなくても良いのに行き、具合の悪い真の病人の診療の妨げになっているという。
 なぜそうなるのか。答えは簡単、暇だからだ。やる事も無いし、また、淋しい。下手すりゃあ家族に邪魔にされたりもするかもしれない。
 そもそも老人は畑いじりでもして暮らすのが一番である。しかし都会ではそれもままなるまい。よって、なんとなく病院に出向き、なんとなく淋しさを紛らわす。しかし、それでいいのかい老人達よ。何か、夢中になれるものを持たなくては、生き続ける意味もないだろ。それでいてあまり面倒くさい事は、したくないだろ。


 そんなご老人供のにピッタリの、誰でも出来て、きっと誰しも夢中になれる知的遊戯がありますよ。それは麻雀。
 何故麻雀か?と言いますと、まず単純に面白い、動かなくて良い、脳の活性化が促される、初心者でもルールを覚えれば上級者に勝てるのでハンディ的な発想と無縁(日常生活をハンディ的意識で生きているご老人供も少なくあるまい)、といった所だろうか。
 また、初心者でも勝てるからと言って、上級者と初級者が対等の確立で勝てるのでは向上の意欲がそがれるものだが、こと麻雀に関しては初級者は3割勝て、上級者は7割勝てるぐらいの比率での勝負となる。3割から初めて、まずは5割をめざし、最終的に7割を目指すというプロセス自体が向上的なものであり、またそのプロセスにおいては、何より己の美学こそが最も優先される辺りが、「ただ漫然と邪魔にされて生きているわけでは無く、60年以上の人生経験と、長年にわたって探求してきて形成してきた人生観というものがあるのだ」というような、ご老人供のプライドに心地よい刺激と満足感を与えてくれるものだろう。


 そして、ここが重要なのだが、孫も麻雀だ。3歳から教えてしまえ。そもそも孫と老人が対等に語れる話題や、共通の趣味など、無い。そこで麻雀。「お爺ちゃんフリテンしてるよ」「ああそうかそうかこりゃウッカリしちゃったなさすが翔太はしっかり見てるなハハハ」等という会話が生まれ、コミュニケーションが生まれる。またプレイしている最中に、格言を含んだ昔話の一つや二つもおり込みつつ、伝承の義務(俺的にはそう思う)を果たす事もたやすい。碁や将棋では駄目か?という意見もあるだろうが、あれはほとんど爺さんと男の子しかやらない。婆さんと女の子でも楽しく出来るという点で、絶対に麻雀に軍配があがる。

という事で健康麻雀を広めている井出洋介プロリスペクトという事で。
http://www.kenko-mahjong.com/index.htm

 しかし、ルールはある程度変えた方が良いと、僕は思う。
 まず、麻雀と言えば点数計算が面倒臭い。それを老人に強いるのは酷というものだ。一翻1000点、二翻2000点、三翻4000点、四翻8000点にしてしまった方が良い。ただそれだけだと、カンの意味が薄れるから、ボーナス点的な発想を取り入れる。つまり、アンカンボーナス上がれば2000点プラスとか。ミンカンボーナス1000点とか。あと役における点数の改正。例えば、ジュンチャンは四翻とか、小三元、三暗核は三翻とか、難度の割に安い役を難度に応じて点数を上げてやる。そうすると役の多様化を促し、それはいっそう麻雀のパズル的側面の促進に一役買うであろうというのが一つ、あとは単純に点数を底上げしたほうが、単純にPOPな勝負になる。決して、それをギャンブル的な要素の赤ドラなんかでやってはいけない。あれは知的要素を引き下げ、よりバカ的要素を引き上げる、ギャンブルの為のものだからだ。


 そして何より、これ一番重要だと思うんだけど、東風戦の方が良くない?東南戦は、長いだろやっぱり。子供は飽きちゃうよ。老人も疲れちゃうよ。
 あとは実は東風戦の方が実力も反映されやすいのだと最近わかった。このくだりはまた後日。