書きながら考える

 転職を考えている。転職、といっても業種職種を変えるわけでは無く、作業内容と、職場を変えるという事だ。自分の中ではそれはある意味当然の事のように思えるのだが、一般的にはそれはどうなのだろうか?


 なんせ、仕事というもの、覚えてしまえばもうその先には大した進歩は無いわけである。そして自分のやっているDTPというもの、その中での作業のジャンルがいっぱいある。まあどれも繋がっている一つの作業の、どこを担当するかなので、どこをやるにも多少応用がきくとはいえ、何をどうすれば良いかは頭で解っているとはいえ、やはり実際にやるとやらないとでは全然違う。体験として、やはり失敗したりする事で得られるものは多大だ。


 また、ただ単純に、今やっている事がだいぶ出来るようになり、これからは・・・?という事だ。先を志向しているならば、何にしろ動かなければイコール停止だ。歳をとればとるほど、やはり動きにくくなるのは当たり前で、今のうちに身に着けなければ、身に着かないだろう。


 しかし問題となってくるのは、はたしてそれを必ずしも身に着けなければいけないのかどうか、という問題である。単に若いから、しきりにレベルアップみたいな事を無闇に欲しているだけで、実際にそんな経験は必要無いのではないか?とも思う。


 ここを客観的に見て意見を考えるならば、必要であるとも言えるし、必要無いとも言える。必要があると言える根拠は、まあ当たり前であり、必要無いという根拠は、誰もがそれ程色々やった経験を持っているわけでは無い、という事。そんな事よりも、今出来る事に精力をかたむけて、地道にやって行けばいいじゃない、みたいな思考。


 しかしそう書いてて思う。それなら、いざ会社にリストラされたり、倒産した時どうする?って。またそんなデカい事じゃなくても、身近にシフトという良い理不尽の例がある。己のスキルの幅も無い。歳もとった。会社から深夜シフトでやってくれと言われた。やるしかない、というおっさんが居る。居るというか、今の職場はもう大概そうなのだ。そういう仕打ちに対し、己を無闇に肥大させて行く事で、理不尽を回避して行く事が出来る。「ああ、そうですか。なら辞めます」と、このセリフを30代40代になって言えるかどうかが、幸せと不幸の分かれ目なのではないか?そして、あまり使いたくない言葉だが、勝ちと負けの分かれ目なのではないか!?と。


 経験が実際に大いに役に立つか立たないかはどうでも良いのだ。大切なのはいかに態度を大きく持てるか、ハッタレるかどうかなのだ。鎧なのである。鎧を着ててもやられる時はやられるが、まといたい時にまとう鎧も無い、では、普段生きてる上で不安で不満でしょうがない、というのが、一番近いか。


 「自由とは、自分に由ること」by福本伸行「無頼伝・涯」。なんでも好き勝手に出来る事が自由じゃなく、自分に由って、自分で自立してやって行く事、それだけが自由であるのだ。その思考が大いなる実感を伴って、はっきりと飲み込める。自分に由ってないと、リストラ、倒産、深夜シフト、いざという時にすぐに不自由はやって来るのだ。