いよいよ3月も終わりで、いかにもフレッシュって感じの時期がやってくる。新たな環境、新たな作業、新たな人間、って何か書いてるだけで嫌な感じが漂ってくるが、まあ実際今の生活においてはあまり関係が無いので、良い部分だけでフレッシュな春を堪能させていただく。
 春と言えば思い出すのはなんといっても3年前の出会いなのだが、それを思うとはたして続く事と続かない事の違いは何なのかと考える。まあ自分の場合はその辺はっきりきっぱりしていて、続かないと思えば乗りかけた船から飛び降りてでもご破算にしてきた。自分から行く際においても、まあその時点では解ってないわけだが、結果としてなんとなくがんばらない、がんばれないといった状態になったりした。
 というわけで理由というものは解らないわけだが、感覚では続く・続かないははっきりと解っていた。仕事にしてもそうだ。自分から辞めたり辞めさせられたり。続く仕事はいつまでも続けられるし、続かない仕事は出来るだけ素早く辞めて来た。自分の考えでは、はっきり言って続かない事を長くやればやる程とりかえしのつかない時間の無駄だと思っている。
 そして問題なのは続く・続かないの判断なのだが、自分の場合は性格的にまったくもって万能型の逆というか、恋愛の相性、仕事の相性というものがはっきりしているのである。若い頃は随分と悩まされた己の不器用さであったが、こうなるとむしろ有利な働いてくる。全ての経験というものスタートは遅すぎる程遅いが、無駄というものが少なく着実な結実を果たしているように思える。この辺は何事もそつなく対応出来る人の方が不利なのではないかと。何が出来て何が出来ないか、何がしたくて何がしたくないかの判断がつきにくいのではないかと。
 なんせ自分的には恋人と別れるという意味がよく解らないのである。続ければ続ける程絆は深まるだろうに、とか、離婚なんて結婚する前に気付けよ、とか。余談だが結婚カップルのうち4組に1組は離婚しているそうである。何故そうなるのだろうと本当にまったく疑問に思う。


 それでLOWPOWER道にまた新たに一つの見解が加わったのだが、続くものこそ最上である、と。無理が無いから、ロスが無いから自然に続いていく。短距離の走り方では長距離は走れないし、より長距離を走るには体の負担が少ない動きが、また止まらない方がより遠くまで行けるはずであるという事。またAの動きはそのままBの動きのテイクバックであり、Bの動きはCの動きのテイクバックであり、Cの動きはAの・・・というよな円環のイメージ。なにもかもがそう続けば良いと心から思う。円であるからカドが立たないすなわち争いが無いすなわち戦争が無い世の中に。*1
 それは不可能としてもまず二人で生きている二人がお互いに無理やロスが無ければ二人はいつまでも続いてやっていけるのである。別れる二人は結局どちらかもしくはお互いに無理やロスがあったと言えるだろう。森羅万象、最小の力で行える事だけ行えば充分なのである。無理やロスに気付くので。

*1:って飛躍しすぎ? しかし続きが円を描けばそうなるはずなのだ。