さよなら王監督

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時事通信



かつて巨人の打撃コーチを務め、王監督の選手時代に「一本足打法」を指導した荒川博さんが、勇退する“まな弟子”にねぎらいの言葉をかけた。「大きな病気もしてたし、ちょうどいい時期なんじゃないかな。ご苦労さん、と言いたいよ」


2人の出会いは1954年にさかのぼる。荒川さんが散歩中、偶然目に飛び込んだのが、試合に出ている当時14歳の王少年だった。堂々たる体格に「最初は高校2年生かと思ったよ」。62年、巨人のコーチになった荒川さんは入団4年目で伸び悩んでいた王と一本足打法に取り組む。荒川邸で畳がすり切れるほど壮絶な素振り練習。集中力を研ぎ澄ますため、真剣を用いた特訓も行われた。


謙虚で無欲な性格を変えるため「3冠王を取ろう」「ベーブ・ルースを抜こう」と暗示をかけた。当時、王の月給は25万円。「オレの家に1日来たら、10万円貯金したと思っていいよ」とも言った。「彼に大きな夢を持たせたかったから、初めはホラばかり吹いた。(周囲からは)バカにされたけど、やってみれば『ホラ見ろ』ってね。ホラは決してうそじゃない。大きな夢なんだよ」師匠の情熱が、世界の大打者へと導いた。
(スポーツ報知)


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時事通信



「張り合いがなくなる。そうだなあ。ONに支えられてきたからなあ。時代の終わりを感じた」巨人の王・長嶋のスーパースターコンビをライバル視してきた。「長嶋や王が大輪の花咲くヒマワリなら、俺は陰に咲く月見草」という言葉はあまりにも有名だ。現役時代からヤクルト、阪神監督時代、そして楽天に至るまで、常に発奮材料だった。そう思って戦い続けてきたからこそ、胸にポッカリと穴があいたようだった。


 「現役時代は『こんちくしょう』と思ってやってきた。向こうはエリート、こっちは貧乏人だから…」いわば心の支えでもあった2人が、第一線を退いた。2001年10月1日、阪神監督として迎えた巨人戦は、長嶋監督が指揮した最後の試合だった。そしてこの日、ノムさんは「N」だけでなく、「O」の去り際も見送ることになった。「何かの因縁だな。俺にはONが常につきまとう」離れられない運命に苦笑いした。
(スポーツ報知)


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時事通信