自然

父に連れられ、白神山地ビジターセンター<http://www.shirakami-visitor.jp/>という所で、
巨大スクリーンによる白神山地の映像を見た。
デカい、とにかくデカいスクリーンで、視界に収まりきらない映像に圧倒される。
そして、まるで自分の肉体がなくなり、千の風になって吹きわたっているかのような視点。
肉体が無くなればこういうふうにふきわたれるのかしら等と妄想させられる。


白神山地世界遺産に登録された理由というのも、とにかく人間の手が殆ど介在していない、剥き出しのワイルドなフォレストだからという事。
そんな世界を吹き渡っていると、人間というのは、そもそも何の為にこの地球上に出現して来たのか?等と考えさせられる。


しかし、秋の紅葉などの美しい景観を見ると、この美しさは、人間に見られる為にというか、見て美しさを感じる存在なくしてこの美に意味はあるのか、等とも考えさせられる。「感じる眼」の存在が、地球上には必要なのかもしれない、というのが、ひとつの人間のレーゾンデートルの可能性かもそうじゃないかもという様な。


そしてマタギが出て来る辺りが、この映像が良く考えられている所というか。
まるで自分の人間の存在意義の疑問に応える様なタイミングで、マタギの話が出て来るのである。
マタギとはすなわち、森に生きる人間である。
マタギの営みもまた、森の一つの環として許されている*1
そして「感じる眼」が、森をひきたてるのだ。
世界遺産として人間に守られ、人間の手によってこのような映像が作られる。
自然というもの、人間の為の自然では無いが、人間が自然を愛でる気持ち、その意思こそが、地球における人間の存在意義、
とりあえず、そのような事を考えた。


とにかく、考え、感じられる映像。ちなみに閲覧料は200円也。
200円の最も有効な使い方ランキングの上位に食い込む事は間違い無いこの映像は、一見の価値ありである。

*1:自然の恵みを与えてもらえない人間というものに対して、根本的な疑問を感じるのだ。都会の貧しさとは、おそらくそのような根源的なものに由来している。都会のホームレスになるよりは、山で遭難して死にたいと、そう思う。