イメージ

脳内で様々なイメージをライブラリー化し、的確に分類し、
取り出す事が可能であれば、どんなに素晴らしい事か。


自分の場合、その為に音楽を聴き、本を読むようなものである。
眼で見られるものに興味が少ない。直接的過ぎるのである。
そこにイメージは無い。
誰かによって表されたそのものが、そこにあるだけである。


音楽に関しては色々と考えて、そのイメージの技法について、
自分なりに模索もして来たように思うが、
文章というものに関しては、何も考えてはいなかった。


最近安部公房の本を読み、
「たまらないね、この言い回しときたら」
とかいちいち感心していたわけだが、
小説家「安部公房」論というこの文章で、それらの仕組みが述べられていて、
まあ実になるほどというか何と言うか、
文章ってものを考えさせられる。
http://www2.odn.ne.jp/~cbl82640/sahou_2.htm


副詞をなるべく使わない、
その時その時一回限りの光り方、
心理を書かない、
そういったレトリック全て、イメージの為のものだ。
文というものも音楽と同じ様に、イメージのメディアで、
自分にとってはその為に非常に重要なものだという事が明らかになった。