ヘンリーダーガー

16日、28歳の誕生日はヘンリーダーガー展を見に行き過ごした。


ヘンリーダーガーの作品、とうとう実物をお目にかかった。まず想像よりも作品がデカかったのに圧倒された。どの作品もA1ほどの大きい画用紙を3枚ほど張り合わせてある。本の挿絵というには無用なデカさである。ひょっとして一応はこうして飾られるアートを志向していたのかも?とも思ったが、しかしよく考えると、ヘンリーダーガーの創作プロセスを考えると、意識しようとしまいとデカくて当然である。雑誌からトレースした少女が、何人も増殖するイメージなのだから、雑誌サイズの増殖というわけで、デカいのだろう。


そして作品の実物をよく見ると、カーボン紙でのトレース部分、それを元に自分で模写した部分、さらには雑誌からそのまま貼り付けている部分がはっきりと判る。それらが渾然一体となって、ただひたすらに独自のイメージをヴィジュアル化する事のみにつとめたのが、つまりは彼の作品であると言える。それは圧倒的である。一枚の作品の中でタッチの違う絵が当然のように同居し、それが無用な程に増殖。自分で描いたと思しき部分はいかにも下手であったり、後から少女にかなり適当な感じで男性器を鉛筆と思われる薄い適当な線でで付け加えたり、失敗したと思われる部分に上から紙を貼って修正したり。


とにかくイメージの具現化、それが全てでそれしかなく、ためらいや迷いと言ったものが全く感じられない事が、ダーガーの作品の比較的な特徴であり、下手でもいいかげんでも、大家がネイサンラーナーというアーティストじゃなければ捨てられてしまったであろうゴミのようでも(だからこそむしろ)、人を引き付けてやまない魅力の理由ではないかと思える。


考えさせられるものである。作品にためらいや迷いのような葛藤は必要か否か?、とは。恐らく子供のような純粋な気持ちで生きてこそ、ためらわない迷わない事が許され、一つの理想なのだと思える。なぜなら、不純な大人がためらわないと、商業主義な作品になるような気がするのだ。


美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

帰りにはショップで美術手帖という雑誌を購入した。今回の特集がこの開催に合わせてヘンリーダーガーだったのだ。作品の写真もいっぱい載っているし、ヘンリーダーガーのストーリーなども色々と説明がなされているので、読み応え十分。内容の無いパンフのような作品集が2400円で売っていたが、そんなもんを買うより、雑誌の方がずっといい。これはヘンリーダーガー好きは必読である。


ところで今回ヘンリーダーガー展が開催された原美術館の近くの通りのたたずまいというのは、なんだか今までに感じた事の無いような雰囲気だった。ああいう雰囲気ってのがもっとあらゆる場所に欲しいものだよ。