大きな話①

世の中には(特に日本では)ゴミのような、無駄なものが溢れている。買い物が楽しいのはゴミの中からお宝を見つけだすゲーム感覚の喜びだと思うのだけれど、それってどこか壊れた感覚じゃないのか?という大いなる疑問が沸いて来た。


そりゃあ今まで20世紀末辺りは、パソコンを買っても数年でまったくもって貧弱なスペックになってしまうといった、短期間での急激な変化の時代はあった。使い捨ての文化もすっかり定着した。トレンドもめまぐるしく変化した。でもそういう事は単に変化の激しい時代であったという事だけで、21世紀くらいからは変化の少ない、江戸時代のような安定期に入ったのではないだろうか?と思う。


それは時代の変化です。環境の変化に適応出来ないものは滅びるのが世の常です。自分やその他大勢の同世代の人間の多くは適応出来ている。適応出来ているからこそ、未だに適応出来ていない者のルールに縛り付けられて、前時代とそぐわない社会不適応者のレッテルをはられているジェネレーションギャップが生じている。


もったいないじゃないか。せっかく乗っている船が沈む事がわかっているのに、何も出来ないだなんて。一緒に沈んでしまうだなんて。もったいなさすぎる。じゃあどうすればいいか。ふと思いついたのだが、国家作成。日本の中にもう一つ国家を作るって、ひょっとして可能じゃないか?


国家の要件は①領土②国民③政府④外交能力、とある。一番問題なのが、領土。あとは特に問題無いじゃないか?


続く