クリエイト

 創作とは何ぞや?と思う。平面物、立体物、映像、音楽、プログラム等々、時代の変遷と共に創作の範囲は広がって来たわけだが、古代人から現代人に至るまで、創作するという事は、人間にとって常に必要不可欠な営みであったのでは無いだろうか。とは言え、それが実生活において何らの役に立つとは考え難い。それどころか、実生活においては支障となる場合もしばしばある。そんな事は当然解っていても、それでも創作というものをせずにはおられない種類の人間が数多く居る。創作の抗い難い魅力というものは、何なのだ?と。


 自分の場合は音楽なのだが、これはもう中学の頃にテクノミュージックを聴き出して、中古のシンセサイザーを買って以来、場所を変え機材を換え、ずっと細々と続いている。現在の所は、作業スペースや今後も含めた上での創作姿勢なんかの環境の問題を常に構想していた為に、年に1曲ペースというものであったのだが、この度、Corneliusが新作を出したのに伴い、サウンド&レコーディングマガジンで、付録CD内に収録されているCorneliusの音素材を用いたREMIXコンテストが催されるという事で、これは約5年前、Corneliusが「Point」というアルバムを出した際にも催され、その時も応募したという事もあり、やってみる事にしたのである。


 そして久々に創作というものに真剣に対峙し、創作の酸いと甘いを味わった。その感想としての冒頭なわけだが、全く創作って奴は、平たく言えば、面白くもありつらくもあり、おもつらい(糸井)ものだ。言葉面は情けなくとも、むしろそんな情けなさがしっくりくるような、例えば自分の顔を鏡に写してじっと見る時に感じる居心地の悪さのような、「自分というものは、恥ずかしい」そんなものだと思う。意味不明系ですが。ただし、「確かに私がこの世に生きて存在しているという実感」とでもいうようなもの、「根源的な生の喜び」、のようなものを、確かに感じられるのは創作をおいて他には無い。つまり面白いという点でこれ以上面白いものは無いし、つらいという点でこれ以上つらいものは無いのだ。


 すなわち、そんな激しいアップダウン、生や存在のストライクゾーンのギリギリをつつく行為こそが創作というものであり、それはやはり日常とは相容れないものだ。創作と日常、創作そして日常、創作・日常、創作&日常、創作VS日常、創作feat日常、つまり「創作」「日常」の行ったり来たりこそが、真に人間らしい生活というものだろう。そう思った。自分は死ぬまで創作を続ける。みんなもそうしてくれ。