失点・イン・ザ・パーク(立ち読み)読書感想文

失点・イン・ザ・パーク

失点・イン・ザ・パーク

 昨日本屋でECD著「失点・イン・ザ・パーク」を立ち読みした。立ち読み、なので適当にパラパラと読んだだけなのであれなのだが、内容は著者がアル中になった時期を綴っているもの。で自分が目に留まったのはハローワークに行って仕事を探すくだり。当時著者39歳で年齢制限がほとんどひっかかるというのが衝撃だった。当時でももう39だったのか、と。求職世界と現実世界とのギャップ、求職世界における年齢というもの、設定は確かに低い。20〜35歳くらいが一般的だろうか。それをこえてしまうと、求職世界的社会的には一つの線をもこえてしまうのだろうか。つまりその先のひなびた人生決定、と。そして著者は免許ももっておらず、要普免の仕事が多いのでとりあえずそこからチェックしていったという辺りはなんともあれで逆に少し笑えたくらいだ。


 そしてこの次がまたなんともリアル。応募して面接してから一週間返事が来るまで何も出来ず、一週間後に不採用の通知を受け、またハローワークへ向かう。応募、面接、一週間、不採用・・・、という不毛な繰り返し。自分もハローワーク経験はあるので解るが、確かにそうせざるを得ないのだ。しかしそれを改めて、しかも極めて淡々と書かれると、おかしさ(面白いの意、システムの妙の意)が際立つ。


 その上やっと決まったレンズ工場の仕事を著者は一日で辞めてしまう。まあその工場の描写だけで、よくこんな事やれるなあ、続くのかなこんなの?と思って読み進めていたので、案の定な感じではあったが。出来ない事は出来ない。まともな人間ならば確実に気が滅入ってしまう作業というのは多分世の中に数多くある。自分も食品配送工場みたいな所を2日で辞めた事がある。出来ないのだ。出来る人がすごいのである。


 若かりし頃は、本気で表現者に憧れたし、なりたかった。今にして思えば表現者やミュージシャンにとってバブリーな時代であった。過去の巨大なムーブメントを体験した子供達のムーブメントだった。そしてそんな熱も冷め、冷静というか、落ち着いたというか、そんな時代がやって来て、それは今で至るまで淡々と続いている。とにかく元気の無い時代。我々世代はその子供ムーブメントで育った孫世代であり、圧倒的にモチベーションは低く、過去の表現者達にとってはただただ寒い時代。


 本では、著者は結局次の仕事が決まるのだが、家賃11万円の所に住んでいるが引っ越す金は無いのでその11万円を払い続けてホームレスにならない為だけに働き続けていかなければならない、などと何ともやり切れない描写で終わっているが、気になってECD氏の近況を調べた所、警備員のバイトをしながらライブ活動を行っていると書かれていて(はてなで)、ほっとした。なんせ文中ではECD氏はもう音楽をやらないつもりであったのだから。


 やはり表現者は表現の為のみに生きなければ幸せではない。どんなに冷風が吹きずさもうとも、表現の火を消してはならない。しぶとく表現に生きる先達に心からの敬意を表しつつ、そもそも我々世代ががんばらなくてはいけないと思った。