今日の一本「フラッピー」

 最近は知子がフラッピーをやっているので、知子が行き詰った面などで一緒に考えたりしてはまっております。フラッピーがどういうゲームかというとこのコラムhttp://www.famitsu.com/game/serial/2003/05/23/364%2C1053677816%2C13011%2C0%2C0.htmlを参照して下さい。ちなみにこのコラムはリアル初期ファミコン世代の方が書いてるので非常に「へえ〜」な面白さがあります。


 まあ前からフラッピーが名作である事はわかっていたわけなんだけれども、多分まだ初心者だったというか、行き詰るともう駄目みたいな感じがあって、あまり進んでおりませんでした。しかしセーブ機能を利用すると非常にこれがよろしいというか、セーブが無いとパズルとアクションの両立が要求される面なんかでは非常にきついわけです。*1


 ゲームというもの、死ねば死ぬ程くやしさと面倒くささの板挟みになってうんざりするという事が多々あるわけですが、このゲームなんかは特にそれが顕著というか。それがこのゲームの一番の欠点なのですが、それが回避出来るわけで、するとただただ楽しさだけを堪能出来るというわけです。それに知子がメインでやってるので、一面一面毎に考えなくても良いってのは非常に良い事です。


 だからこのゲームの一番楽しいプレイスタイルってのは、友人何人かが集まって交代しながらやっていって、時に行き詰ったら紙に書いたりしながらああでもないこうでもないとディスカッションしたりしながら進めて行く事なんじゃないでしょうかね。学生どもの溜まり場的な部屋に最適なゲームというか。


 でもリアル初期ファミコン世代じゃないとなかなかそういう経験って出来ないでしょうね。今の子供なんてやたらリアルで世界観が確定されたゲームやって、少人数でその世界にこもるというか、そんな感じなんじゃないでしょうか。そういうのはもうゲームじゃなくて、漫画や本やアニメと同じ存在というか立ち位置というか。やっぱりよく言われるように初期ゲームにはゲーム本来のジョイフルがあります。


 その辺、ゲームのみならずあらゆる分野で最近感じます。「本来」を忘れているのではないかと。また自分も何をやるにおいても「本来」を忘れないようにしなければ、と思った。と無理矢理人生訓を得てみる。

*1:また敵の動きが実によく出来てるというか、非常にいやらしい、殺したくて殺したくて仕様が無くなる動き方をしている。でもまあその辺が一番名作たるゆえんなのですが。全体はシンプルでディティールに力をこめるというやり方こそLOWPOWERの手本也。