覇権

田中宇の国際ニュース解説」というページで、
最近は原点に立ち返るかのように、「覇権の起源」と銘打って、連載をしている。
http://tanakanews.com/080814hegemon.htm
正直自分には少々難しい内容だが、
単純に言うならば、因果関係で物事を捉えるのが当たり前、という事ではなかろうか(その因果関係が難しいのだが)。
しかしまあその小気味良い語り口ときたら。


フランス革命を発端に、世界各地で起きた国民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させる「国民」という名のカルト信者に仕立てた。権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育とマスコミが重要なのは、このカルト制度を維持発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。


とまで言う。思わず拍手したくなる。


そもそも国民というもの自体には自分も前々から疑問を抱いていた。
そもそも、政治に文句を言ったりする以前に、国民である必要があるのだろうか?と。
日本国に在住している以上、国民以外であれるわけがない、等という考えの方が、むしろ幻想である。
中央集権等という脆弱なシステムの歴史の方が、それ以前の歴史よりもずっと短い。


教育、マスコミ、資本主義、年金・健康保険、
下らない中央集権のたまもの、国民という縛りのシステムである。


都会での暮らしのデメリットについて日々考えていて、また思いついた事は、
何にも頼れないという恐怖だな、と。
いざとなったら、コンクリートジャングルで遭難死しかないという、根本的な不安。
人間は、人間などには、とてもじゃあないが頼れない。
人間は、本質的に根本的に、自然に頼るしかないのだ。
自然に甘え、自然のすねをかじり、自然に殺される。
どこかでそう生きるように出来ている、とそう思う。


中央集権や国民などという幻想は、もう終わりにしないかね?
とりあえずは地方分権から始めようじゃないか。