流れ

 麻雀好きの奴らの中でよく言われるのが、流れはあるか・ないか、等と言う事。この流れ肯定派と否定派の議論というものは、実に不毛だ。そもそも流れはあるか無いかという定義自体が、自分の感覚とは、ずれている。
http://game.2ch.net/mj/kako/1003/10030/1003073228.html


 自分の感覚では、この世界のありとあらゆるものが、すでに流れており、その流れの感覚をよりいっそう強く感じさせてくれるのが、麻雀に限らず、勝負やゲームというものである、と、そう世界を捉えている。


 例えば、海。海が止まってる時などあろうか。そして風がゆれてるし、波が唄ってるし、俺は今日も歩いてるわけだ。つまり(?)、あらゆるもの全て諸行無常であり、止まるものなど何一つとして無いわけで、そして、動きには慣性の法則があり、止まるものは動きにくい、動くものは止まりにくい、そういう風に動いているわけだ。正にフォーエバーである。


 デジタル信仰者達(流れ否定派)に言いたい事は、数字こそが止まっているものの代表格であり、生命と数字とのつきあいこそが、この世界の全てだ、と。デジタルもオカルトもない。ただ我々の周りにあるものは、そんな世界、それだけだ、と。


 細かい事にとらわれたケツの穴の狭い奴らには、こう言ってやるのさ。「一緒に水平線を見に行こうぜ・・・」